突然破水して出産した時の心理

22年前の夏の暑い日、突然の破水により25週6d 920gで息子は誕生しました。
その時、まだ私は23歳でした。祖母も母も安産だったということで今から思うと油断していた妊婦生活だったと思います。夏にも関わらず、手足の冷え性が強く、予定日の11月は寒いだろうなとのんきに思っていた日々でした。

そんな私が突然破水をし、その日の夜に緊急帝王切開で息子を助けていただきました。その頃はまだNICUという言葉も知りませんし、母親学級にも参加する前の時期で出産や育児に対する知識も全くないという無知極まりない母親でございました。
そして、お恥ずかしいことに助産師さんとNICUの看護師さんの職種の違いも知りませんでした。まだ母親としての自覚もなく、手術後に看護師さんから
「お母さん」と呼ばれても誰のことだか分からなかったくらいです。

帝王切開から数日後に車いすで連れて行っていただいたNICUの扉が開いた瞬間、私はまるでそこは宇宙空間のようだと思いました。
見たことのない医療機器、連続して鳴っている機械音、慌ただしく働いている医療者の方々、全てに圧倒されました。そして、奥の奥のスペースの保育器の中にいたのはちいさなちいさな息子でした。

私が想像していた丸々とした赤ちゃんではなく、ガリガリの細い身体で苦しそうに人工呼吸器をつけている息子でした。
下の写真は誕生してから19日後に撮った写真です。最初の頃は写真も撮れず、
息子に会っても泣いてしまうばかりでした。

当時はちいさな肌着はもちろんの事、オムツすらなく、生理用ナプキンをあてられていました。そんな姿を見る度に、「この世にまだ歓迎されていない程、ちいさく生んでしまってごめんなさい」と泣いたものです。

そんな私が17年前のアメリカで未熟児サイズの肌着と出逢ってから、
ちいさな肌着をお母さん達にご紹介をしたら喜んでいただけるに違いないと思い、帰国後、猪突猛進で起ち上げたのが、HappyFroggy.comという低出生体重児肌着のオンラインショップです。

おかげ様で16年目を迎えさせていただきまして、多くのご家族様と交流をさせていただきました。その中で皆様のお話を聞いて思いますのは、やはり突然入院されるお母さん方は心の準備ができなかったというお話です。

もし可能でありますなら、ご出産をされて数日後に赤ちゃんにご対面される
お母さんへ事前教育的なお知らせ(こんな言い方をしたらお母さん方は嬉しくないと思いますが)をして頂けたら、、、と厚かましく思う次第でございます。

具体的には超低出生体重児の容姿と成長の過程等。
点滴や人工呼吸器に繋がれているのでかわいそうですが、赤ちゃんの成長の為に必要な医療的措置をとっていること。
7か月の頃は肺を育てる時期なので人工呼吸器が必要なこと。
8か月は脳を育てる期間なので、積極的なお母さんの声掛けやタッチが赤ちゃんの発育を促すこと。
お母さんの出す初乳は超低出生体重児の赤ちゃんにとって、胃腸を修復したり、未熟児網膜症を防ぐ、ミラクルなパーフェクトフードであること。
このようなお話は喜ばれると思います。

また5分くらいの動画や、紙芝居的なものや絵本のようなものを先に見せていただき、知識を得てから赤ちゃんに対面した時の心持が、突然会うよりも全然違うと思います。

突然破水出産したお母さんは、母親としての自信を喪失しているばかりか、
赤ちゃんに苦しい思いをさせてしまったと自責の念にかられる方が多いと思います。ですが、赤ちゃんの成長過程を知ったら、お母さんは希望を持てると思います。
私は泣いてばかりいた母親でしたが、カンガルーケアや肌着を着せていただけるようになってから、どんどん心が前向きになり初めました。それまでは医療者の方に本心を伝えることもできませんでした。

マズローの欲求5段階説のように、第一段階の生理的欲求、第二段階の安全欲求が満たされて初めて、第三段階の社会的欲求で医療者の皆様に心を開くようになると私自身の経験でそう思うようになりました。

時期で言うとGCUへお引越しできるくらいの時です。
それまでは心も落ち込んでいましたが、
「赤ちゃんの成長を信じて見守りましょう」とお医者様から言っていただき、
とても嬉しかった記憶があります。

細かった息子ですが、退院後はこんなに太くなりました。

現在はこちらです。

息子が元気に成長できたのも医療者の皆様のおかげです。
そしていつも赤ちゃんだけではなく、ご家族の皆様にも寄り添っていただき、
本当にありがとうございます。

激務で大変な日々でいらっしゃると思いますが、どうぞお身体をご自愛の上、
ますますご活躍ください。
何かHappyFroggyでもお手伝いできましたら、何なりとお申し付けください。

感謝を込めて